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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

直言曲言 第223回  絶望的

 今回のタイトルはとりあえず「絶望的」としたが、「絶望状態」そのものについては書くつもりがなく、「的」という日本語の曖昧さについて書いてみようと思う。「絶望的」というのは「絶望」そのものではなく、「〜のようなもの」という意味らしい。「絶望のようなもの」というのは果たして絶望なのか、それとも「絶望」とは違う何ものなのか?どちらか良く分からない。「的」という言葉の使い方をいくつかあげてみる。「日本的」「精神的」「医学的」などと使われる。これは「日本の」「精神の」「医学の」と言い換えてもほとんど変わらない。中国語では「〜的」というのは「〜の」というように所有格の「〜の」をあらわすので、これに近い。ところが「致命的」「爆発的」という場合「〜のようなもの」をあらわすようで「致命」「爆発」に近いことをあらわすが「致命」「爆発」そのものではない。「殺人的」という言葉も使うが、例えば「殺人的スケジュール」と言っても程度の厳しさをあらわしてはいるが「殺人」そのものとは何のかかわりもない。

 「的」には他の用法もあるだろうが、程度や類似度を表している言葉が多い。ただし言葉によって意味が異なり、同じように解釈してしまうと危険なこともある。

 選挙速報のときに「当選」と並んで『当確』という言葉が聞かれる。当選とは「当選確定」のことだが「当確」とはと「当選確実」のことで「当選確定的」であるが「当選確定」ではないことを表している。昔は得票動向などを分析して当選を推定していたが、近頃では「出口調査」などを用いて開票開始直後から当確の速報が出たりする。開票が進んでいくと、この予測が覆って別人が当選し、当確のはずの本人が落選したりすることもあるらしい。当確はあくまでも予測にしか過ぎないので、その予測がはずれたからと言ってクレームをつける訳にはいかないだろうが、必死で当落を争う選挙でこんな予測がはずれたらそれこそ悲劇「的」な結果や喜劇「的」な事態を招きかねない。最近の若者の言葉では『〜ようなもの』とか『〜みたいな』というようなよう用法がしばしば用いられ、あいまいな表現が指摘されるが、大人でもこの『〜的』を使った曖昧表現が頻発されることがあり、無責任極まりない。ここで例に挙げた『確実』と『確定』『確定的』のように並べて使うと意味の違いは明白だが、無意識に『〜』と『〜的』とを使っていると違いが区別できず、ほとんど混同してしまうこともある。この混同も文章上の誤用だけならまだしも使っている人の意識の上でまで混同されてくるとややこしいことになりかねない。

 最近頻発する殺人事件、とりわけ若者による通り魔殺人事件の場合、その動機が不明なだけにあれこれと原因が憶測される。『誰でも良いから殺したかった』などという供述を聞かされると、疑心暗鬼になり、どんな人がこんな事件を起こすのか不安になる。ひきこもりのわが子を持つ親たちは、普段のわが子の心情が理解できていないから、ますます不安になる。春先は引きこもりの相談が多いのは通例だが、今年はとりわけこの手の相談が多いように思う。特に、暴力など粗暴行為の子どもについての駆け込み相談が多い。『今暴れています。』とか『殴られました。』などと言って腫れ上がった顔をして飛び込んできたり、電話をかけてくる人もいるがこれは困る。当事者なら、分かるだろうが24時間暴力をふるっているわけでもないし、冷静な時もあるはずだ。そんなとき、じっくりと相談に乗るならともかく、警察と同じような役割を期待されても困る。

 新聞にも犯人の過去や成育歴を聞きかじって、『引きこもりが原因である』などとまことしやかに書いてあるものもある。「大学進学をあきらめて『絶望的な』心情」などと見出しで解説している記事もある。あるいは父親から『働け』と叱咤されて『絶望的』になったという記事もある。社会面の記事であるので、記者さんも若いと思うが、安易に犯人に同情したり理解したつもりで記事を書いて欲しくないと思う。2000年3月にも『17歳少年による殺人事件』などが頻発し、引きこもりの子を持つ親たちを大いに心配させたものだが私は『これらの事件と引きこもりとは関係ない』と書いた。それらの根拠の一つは引きこもりの若者は『まじめで優しく』『犯罪を犯すような勇気もない』からである。おまけに家に引きこもっていては、通りすがりの人を殺害するような機会もないではないか。今でもこの考えは変わっていず、家庭内暴力で親や家族に手を挙げることはあっても、見知らぬ他人の前ではおとなしく、借りてきた猫のように従順であるのが普通である。ただし、引きこもりをこじらせてしまった場合、こうした凶暴事件につながらないとは断言できない。ましてや引きこもって10年、20年もの間ただ、飼殺しのように食事だけ与えて放置している場合など、本人も生きる希望を失って、死刑にされることを願っての大量殺人事件などを犯しかねない。

 親はどのように対処すべきか?親の言いなりになどならないのだから、しかるべき機関に相談し、第三者の手助けを求めるべきだが、こんな時、親は自分の意見を通そうとして、
事態を大げさに表現しようとする。解決すべき順番は、人間関係を作ることから始めなければならないのだが、仕事をしていない現状を大げさに伝えようとする。『学校を卒業する時に就職しないと一生仕事に就けないぞ』などという。そんなことないよ。確かに今年は新卒者が就職するチャンスだ。バブル崩壊以後、約20年にわたって就職冬の時代とか就職氷河期とか言われてきたが、今年は好景気もあって就職率は良い。だけど、円高など景気にかげりが見え始めており、就職浪人などと言っている場合ではない。しかし新卒就職では一流企業の求人もあるが、中途採用を目指すとなると、難しいかもしれない。中小企業を含めて幅広い可能性を求めた方が良い。それで人生を『絶望』する必要などない。大学進学を諦める場合も『大学へ行かなければ、一生社会の下積みで生きなければならない』などという。それなりの社会経験を積んだ人ならともかく、18歳や19歳の若者にこんな事を言えば、まるで『人生の未来は絶望的なのか』と思ってしまう。

 最初に言ったように『絶望』と『絶望的』とは違う。もちろん親も「絶望」とはいっていない。だけど『絶望』と『絶望的』というのが混同されることを承知の上で、子どもを脅迫しているのだ。大学へ行く人間なんて三流、五流の大学も含めてせいぜい人口の半分である。残りの半分の人間はどっこい立派に生きている。ただし、どうしても半分以上の階層に属さなければ生きていく自信がないという人は、どうぞ『絶望的』になって下さい。だけど絶望的になっても通りすがりの他人を殺さないで、どうぞご自分で…。

 

2008.04.04.