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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

直言曲言 第284回 ニート再論

 私の記憶ではニートという言葉を初めて新聞で見たのは2004年夏ごろ、当時東京大学助教授だった玄田有史氏が朝日新聞文化欄に書いた署名記事だった。ただし同年に玄田氏と曲沼恵美氏の共著『ニートフリーターでもなく失業者』が出ているが前出記事とこの著作の前後関係は知らない。「NEET」とは「Not in Education, Employment, or Training」の略である。和訳すれば「学生ではない雇用されてもいない職業訓練中でもない」青年層のことであるらしい。おそらく当時の英国の社会学概念なのだろう。英国社会を鏡にして青年問題を考えていた玄田氏らが「引きこもり」という言葉に違和感を感じて「NEET」なる言葉を持ち出したのだろう。朝日新聞の論文を見たとき、私は少壮の学者が書いた論文として見過ごすところだった。しかし朝日新聞の付けた見出しは「働く意欲のない若者」というものだった。私はこの見出しに引っ掛かった。私は「引きこもり」は「さまざまな社会的要因」で「働けない若者」だと思っていた。特に「バブル崩壊後」企業・工場の海外進出によって就職「冬の時代」「氷河期」がやってきて若者の就職戦線は扉を閉ざしてしまい、おまけに過度な競争社会は若者に人間不信・社会不信を起こさせてしまい、働けない若者を大量に生み出した。働けない引きこもりの増加は大人たちの「企業社会」の責任であると思っていた。それを「働く意欲のない若者」と「若者の責任」にされてしまってはたまらないと思ったのだ。

 ニート・引きこもりをめぐる認識の混乱の中には、本来異質のものを同一視する間違いと、同質のものを別の名称で呼称しようとする間違いがある。玄田氏は朝日記事のしばらく後に大阪で講演し聴衆に対し「私は引きこもりにはならないだろうが、NEETになる可能性はある」と話しているのを聞いた。玄田氏は英国の社会現象としてのNEETと日本固有のものと見られている引きこもりをはっきりと区別していたのである。ところが朝日新聞の誤った認識を基にした見出し付けはあっという間にNEETと引きこもりの混同をもたらしてしまった。私は2004年の10月にこの直言曲言欄に「NEET」を書きその誤りを指摘した。しかし東京大学助教授が朝日新聞に書いた論文とローカルな一民間人がホームページに書いたエッセーでは所詮影響力が違った。NEETはその当時流行しかけていたフリーターなどの言葉も追い払って誤った理解のまま流行語になってしまった。NEETがもともと異なった社会現象を指す言葉なので、それ自体が使われることに私はあまり異論をはさまなかった。ところが、それが人口に膾炙されるや否や本来引きこもり支援をしてきた社会活動家もその語を使い、引きこもり当事者までもNEETを自称するようになった。

 引きこもりはご存知のように、今のところ日本固有の青年現象である。世界にはあらゆるところに青年の反社会的な行動がある。NEETもその一つであろう。しかし、引きこもりは単に反社会的であるというよりは特有の青年心理を伴って対人恐怖や人間不信による引きこもり行動を特徴としている。残念ながら、今のところこのような社会行動は他の先進国にも発展途上国にも見られない。社会的引きこもりの発見者ともいえる精神科医・斉藤環氏は「儒教国家特有の精神現象ではないか」との仮説を立てて、中国や韓国などを調査したが両国にもこのような傾向は見られなかった。米英などと同様に、青少年の反社会的な行動は見受けられても異常青年心理ともいうべき対人恐怖などの病理現象は見受けられなかった。私自身中国や韓国の社会科学研究者グループとインタビューする機会を得たが同様の結果に終わった。「儒教思想の影響」という仮説は立証できなかったが儒教思想の一部としての「長幼の序」を社会秩序とする封建思想の影響は疑わざるを得ない。日本の場合、儒教的道徳の上に、近代的家族観ともいえる「核家族」化が急激に進行しますます閉鎖家族化が個人の自立化を阻害したのではないかという新仮説を今でも持っている。

 2006年になって 『「ニート」って言うな!』本田由紀・内藤朝雄・後藤和智共著が出版された。本田由紀氏は玄田有史氏と同年齢の当時東京大学助教授である。この書は細部はさておきNEET問題の本質をほぼとらえている。一番わかりやすいのは労働経済問題としてとらえるべきNEETの問題をマスコミのミスリードによって引きこもり問題としての教育問題にすり替えられて行っている、という指摘である。引きこもり問題が純粋の教育問題か否かは別として問題の本質を的確にとらえている。

 さて論争そのものの帰趨はともかく、いったんちょうちん持ちをしてしまった玄田有史のNEET論が完膚なきまでに叩きつぶされて、NEETか引きこもりかの議論からは朝日新聞は手を引いてしまったようである。しかしNEET論の支持者はそれが正しいと思ったからそれを支持したわけではなかった。一つは単純に「引きこもり」が負のイメージで語られてきた言葉であり、NEETは一見学術的でニュートラルな語感の言葉である。ニュートラルだけでなく、おニューな感じの言葉でもある。自称NEET派はその辺のかっこよさに惹かれて選択した。「働く意欲のない」と蔑視されても、逆に自主的に選び取った生きざまのようでかっこよくさえある。おかげで引きこもりの持つ本質的な問題や本人の自覚の問題はどこかに追いやられたまんまになる。

 儒教思想など引きこもりの原因追求はNEETによる引きこもりの問題すり替えによってうやむやになりつつあった。しかし支援団体は根本的な原因追求とは別に現実的な解決策によって生き延びていた。ニュースタート事務局関西は鍋の会開催やレンタルお姉さん(関西ではニュースタートパートナー)による訪問活動で支援の実績を上げていた。ところで心理的な病気にしろフィジカルな病気にしろ「民間療法」が蔓延してくる(ということは公認の療法がないか効果を発揮していない)と行政権力は民間療法の一部を公認して体制内に取り込もうとする。それが2005年から始まっている「若者自立塾」である。玄田NEET論を先ぶれにして小泉「骨太の改革路線」(新自由主義の経済路線)に乗った厚生労働官僚の思い付きだった。今年の事業仕分けによって早くも「効果がない」として廃止の憂き目になっている。「3か月」の職業訓練だけで引きこもり改善の効果を上げようとするのはまさにNEETの(NOT in TRAINING)の部分だけに着目した訓練主義で社会政策の誤りを糊塗し、若者が職業技術に未熟だとする許し難いすり替えなのである。

 現代の「社会的引きこもり」状況を私は「豊かだけれど出口のない競争社会」と捉えている。「親たちの世代は豊かになり、就職しないからといって直ちに困ることはない。出口(働き口)がなくて、膨れ上がったゴム風船のような過剰な競争社会で、ゴムは伸びきって活力を失い、爆発することすら許されず沈滞を余儀なくされて」いるのが今の引きこもり青年ではないか。引きこもりの現実的な症状は対人恐怖、人間不信、社会不信である。鍋の会で友達作りをさせることによって多くの引きこもりの症状は改善する。しかし、わずかだが鍋の会にも訪問活動にも身を固くして拒否を貫こうとする若者がいる。急速な核家族化、日本固有の「恥の文化」「甘えの構造」大人たちの自己不全の反映など本人たちのほぼ責任のない原因が横たわっている。それを無視して引きこもり問題をNEETなどとごまかしてはいけない。

 

2009.12.17.