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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

上昇志向

 『上昇志向』は私の≪引きこもり論≫にとって一つの重要なキイワードである.引きこもり状態に陥〔おちい〕る大きな伏線にもなっているし,引きこもりからの回復を妨〔さまたげ〕げる壁でもある.
  しかし,引きこもり本人にも,親などの家族にも,『過保護』『過干渉』や過剰な教育の『押しつけ』などがいけないことは分かってもらいやすいが,『上昇志向』がなぜいけないのか,理解できない人が多い.『上昇志向』とはより高いところへ上り詰めようという意欲のことであり,別の言葉で言えば『向上心』と言っても良い.『向上心』を持つのは悪いことであるはずがなく,それなら『上昇志向』だって良いではないかとなるのだが,少しニュアンスの差がある.

 『向上心』はあくまでも,自分自身をより高めようという気持ちであるとすれば,『上昇志向』の方は,他人との関係において,あるいは社会的地位という尺度で,自分を高めようとする気持ちである.これとても一概に『悪い』とは言えないし,ときにはこうした『上昇志向』がその人の向上や成長に大きな力を発揮することがある.
  しかし,大きな力を発揮するということは,目に見えない所で膨大〔ぼうだい〕なエネルギーを消費しているということであり,いわゆる『引きこもり=心の風邪引き』状態やその前段症状にあるときには,本格的な風邪になったり,風邪をこじらせてしまう原因にもなりかねない.

 『自分を高めようとする』こと自体はよいことのはずなのに,どうしてこんな副作用を生み出すのか?これは今の学校教育システムの中で考えれば一目瞭然〔いちもくりょうぜん〕となる.
  少年期から青年期に掛けて,私たちは『上昇』という概念をほとんど成績や偏差値というものを尺度に考えさせられている.つまり,学校のテストの結果を常に友人たちとの勝ち負けで考え,知らず知らずのうちに,自分が上昇するということは身近な他人に勝つことと同じだ,と考えている.つまり,上昇志向とは『競い合う意識』と同義になってしまうのである.

 引きこもりの典型的な状態とは,他人との関係を恐れ,友人をも遠ざけることである.当然ながら,こうした気持ちを取り除き,他人に対して心を開けるようになれば,引きこもり状態からは自然に脱出できる.そして,このことは引きこもりの渦中〔かちゅう〕にある人にとっても案外分かりやすいことであり,また誰もが何度もそのように試みている.
  しかし,現実にはこれがなかなかに難しい.実は,自動車に喩〔たと〕えるならブレーキを掛けたままでアクセルを踏んでいるのである.つまり,『上昇志向』という『競い合う意識』がブレーキとなって,人と交〔まじ〕わるというアクセルを効〔き〕かなくしているのである.

 言葉で言ってしまえば簡単である.ブレーキ,つまり『競い合う意識』=『上昇志向』を外〔はず〕してからアクセルを踏めばよい.ところが,渦中にある人はこのブレーキのありかが目に見えない.第一に『上昇志向』というのはむしろエンジン(推進力)だと考えているので,まさかそんなものがブレーキになっているとは思いもしない.
  これは引きこもり本人に限らない.引きこもり脱出に手を貸すべき親たちも,『上昇志向』をむしろ利用して引きこもりの泥沼から離脱させようとする.つまり,『向学心』や『金銭欲』といった,当たり前ならそれが社会的活動のエネルギーになるであろう『欲望』を一生懸命に刺激して,泥沼脱出の後押しをする.実はこうした『欲望』はますます人間不信や対人恐怖,友人拒絶を頑〔かたく〕なにする,いわば,エンジンオイルをどろどろに固まらせる働きしかしていないのである.

 私たちが『引きこもり』を必ずしも否定的に捉〔とら〕えるだけではないもう一つの側面とは,引きこもりが思春期の貴重な『思考実験』であるということである.例えば,引きこもりを『6ヶ月程度以上社会的関係を断ち』というように定義するのは,その程度の期間以内なら『引きこもる』ことはむしろ必要なことであると言える.まったくこうした『体験』を持たない若者に対しては『引きこもる能力すらない』と,私は考える.
  それではその『思考実験』とは何だろうか?
  それは『上昇思考』に疑問を持つことであり,『上』とは果たしてどちらなのだろうか?と考えてみることである.貴方〔あなた〕は電車に乗っているとき,急に電車がどちらに向って走っているのか分からなくなったり,不安になったりしたことはありませんか?幼児期からの体験で,『上というのは大体あちらの方だな』という目星〔めぼし〕はつけている.自分が地面に足をつけて立っていることが分かれば,足元が下であり,頭のある方向が上である.それでは横たわっているとすれば,どちらが上なのか.俯〔うつむ〕いたり,横向きに寝ているときは,どちらが上なのか?地面や空が見えれば良いが,真っ暗な宇宙に浮かんでいるとすれば,上と下の区別がつくのだろうか?

 思春期とはそうした方向感覚を確かめる時期でもある.ましてや,世の中や社会が混乱し,社会システムがそれまでのように機能しなくなれば,右や左や東西南北さえ自明のことと決め付けることのできない状態になる.
  親や先生は若者のこうした疑問に気がつかないから,自分たちにとっては自明のことである右や左の区別がつかなくなった若者を,精神を病〔や〕んでしまったと勘違いして叱咤激励〔しったげきれい〕する.向いあっていれば,若者の右左と親や先生のいう右左はまったく逆方向であり,若者は錯乱する.それでも,引きこもりの若者は真面目で従順な性格の人が多いので,とりあえず親や先生たちの右左を受け入れる.左利きの子に,親が無理やり右手で箸を持つように矯正〔きょうせい〕している状態に近い.

 本人が美術系や音楽系あるいは専門学校に行って技術を学ぶことを本人自身の『上昇』だと考えているのに,親は四年制の普通大学に進まなければ『上昇』することにならないという.たいていはこんな単純な考え方の食い違いから,引きこもりは始まる.もっと一般化して言えば,親や先生や,換言すれば,今の社会が<価値あるもの>と考えて,押し付けてくるものが,若者たちには価値があるものとは見えない.

 これまでも,叛逆〔はんぎゃく〕する若者たちは,大人たちの価値観を否定して,次々に『若者文化』を打ち立てて来た.しかし,『引きこもり』はある意味で大人たちの『価値の体系』総体に対する『疑問』であり,しかも,この疑問の提出者は,これまでのような≪叛逆する若者≫ではなく,真面目で従順な,どちらかといえば優等生であった,大人たちの社会の継承者なのである.だからこそ,大人たちは驚愕〔きょうがく〕し,戸惑い,あるいはこの引きこもりを理解することを拒〔こば〕む.

 引きこもる若者たちもまた,内なる『上昇志向』の呪縛〔じゅばく〕を引きずり,あがき苦しんでいる.しかも,親との関係においてはその上昇志向の方向性さえ見えず,混乱しており,『上昇志向』そのものから二重に疎外〔そがい〕されているというのが実態である.

 『上昇志向』や『向上心』そのものが良くないとは言わない.『競い合う意識』を一度完全に捨てて,≪上昇≫の方向性を含めて見定めてみるべき時期なのである.

(5月14日)