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NPO法人ニュースタート事務局関西

直言曲言(代表コラム)

裏切られた約束

 引きこもりの子を持つ親からの相談を引き受けるようになって5年目になる.10代の後半から30台の後半まで,年齢層は幅広い.今までに引き受けた相談の最年少は14歳,最年長は38歳である.40代以上の方の親や,中には配偶者からの引きこもり相談もあったが,私の考えでは,それはいわゆる『社会的引きこもり』の範疇〔はんちゅう〕から外れるので,電話で簡単な聞き取りをしただけで,具体的な相談はお断りした.

 電話で相談の申し込みを受けるとき『お子さんはおいくつですか』と,まずお尋ねする.20歳台と聞くと,ふっと気が緩む.別に10代や30代の引きこもりが解決困難というわけではないが,やはり20代の事例が多く,一般的な方程式に当てはめやすいからだろう.
  10代(特に14歳から16歳)の低年齢の子の場合は,本人の問題よりも親の方の過剰対応のケースが多い.単に不登校であるだけなのに,精神科医やカウンセラーを渡り歩いたり,親が無理やり引きこもりに押し込めつつあると思われることも多い.親の気持ちとしての『過剰対応』は理解できなくないが,何とかしてやりたいの一心が強いため,こちらの言う『突き放した』対応が出来ない.例えば引きこもりの最終的な対応策は『親離れ,子離れ』で『別居』させるのが最上なのだが,中学生や高校低学年では,その決断が出来にくい.それを勧めるこちらの対応も,少し腰の引けた勧め方にならざるを得ない.

 30代以上の引きこもりも比率としては少なくない.話を聞いてみると,やはり10代のときに引きこもり始める強いストレスに遭遇している.つまり途中で潜伏的期間があったとしても,10年,15年という引きこもり歴を持っている.
  もちろん10年前には『社会的引きこもり』という概念すらなかったので,親はわが子を単なる『怠け病』か『精神障害』の一種と思い,放置されてきている.ただ『放置』してきただけなら良いが,たいては『学校へ行け』『働け』『外へ出ろ』と責め立て,精神的迫害を続けているので,引きこもりを『こじらせ』て『対人恐怖』などの神経症や,親に対する恨みや復讐心を持ち,親の言うことを聞かなくなっている.親の勧めで私たちとの<面談>にこぎつけるまでが,なかなかに困難なのである.

 さて,その30代の引きこもりにも多く見られるのが『学校後遺症』である.たいていは中学や高校時代の優等生体験が心の傷になっている.優等生が挫折して引きこもりになるかと言うと,それ程単純でもない.不登校からの直行,希望する高校に入れなかったケース,高校生活への失望,大学受験の失敗,大学入学後の5月病,卒業前の社会参加不安,就職後の出社拒否,何回か転職を繰り返した後の社会不信…切っ掛けは多種多様である.それでも私には,ほとんどの引きこもりに共通する要因が見えてくる.それを私は『学校後遺症』と呼ぶ.

 『学級崩壊』や『校内暴力』など<教育の崩壊>と言われる現象は,かなり早くから小学校や中学校で起きていた.いじめの問題も同様である.しかし,こうした問題は『引きこもり』問題には直結していないと言うのが私の見解である.これはむしろ家庭における基礎的な人間教育(『躾〔しつけ〕』の問題と言っても大差ない)の不足である.
  核家族のずぶずぶの『愛情主義』が集団生活に馴染〔なじめ〕めない子どもを大量に生み出させた.もちろん教師の能力不足の問題もある.マスメディア(特にTV)の発達や情報の氾濫によって,子ども達の得る情報は親や教師経由のものよりも,圧倒的にメディア経由のものが増えた.しかもそのメディア自体,携帯電話やPHSなどを典型として,親に与えられた(買ってもらった)ものよりも,商業資本が直接に子どもに売りつけたものが増え,親や教師からの情報提供を相対化させ,親や教師が押し付ける『社会的ルール』を子ども達は完全になめきった結果でもある.中途半端な『社会的権威』を背負って教師が子どもを威嚇〔いかく〕しようとも,少なくともその教師個人がTVタレントに負けない程度の魅力や説得力を持っていない限り,子ども達は言うことを聞くはずがない.親も同様である.

 ところが,のちに『引きこもり』になる若者は,こうした『学級崩壊』や『校内暴力』『非行』などの主役達とは異質であり,むしろこの時期には親や教師達の言うことを良く聞く『秩序派』であり『優等生』である.一見,関連性のあるように見える『教育の崩壊』と『引きこもり』は異質な現象であり,これを混同しては『引きこもり』は理解できない.ただし,異質ではあるが無縁ではない.これがやがて通底構造を持つのが引きこもりの特徴である.

 『教育の崩壊』は日本社会が『教育の目標』を喪失したからというのが通説のようである.つまり社会そのものがあるべき目標を見失っており,子ども達を導くべき方向性が失われている.『教育の目標』とは分かりやすく言えば次のようなものである.

 子ども達が,親や教師など大人の言うことを聞くのは,大人たちの言うことを聞いていれば『良い人間になれる』という教育の枠組みを信じているからである.社会は常に発展の過程にあり,子ども達への教育が有効に機能するためにも『よりよい社会を創るため』という暗黙の了解が成立していなければならない.『良い人間』という意味には,科学的な『智』や道徳的な『善悪』だけでなく,経済的な『貧富』,社会的な『強弱』や『幸・不幸』といったさまざまな価値尺度が含まれる.教育を受けるものは,こうした『よりよい社会』のの推進者になるとともに,『智』や『善』や『富』や『幸福』を掴〔つか〕むことを約束されていると思うから,従順な『被教育者』になろうとする.

 ところで,1960年に始まった日本の高度経済成長は,猛スピードで『豊かな国・ニッポン』を作り上げた.1970年代のオイルショックなども克服し,1980年代には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われた.1980年代後半にはバブルという徒花〔あだばな〕まで咲かせた.もはや,欲しいものも欠乏しているものもなく,子ども達も物質的には十分に充足した生活も手に入れた.キャッチアップ(追いつき追い越せ)型の経済の時代は過ぎ,『よりよい社会』は見えなくなった.つまり『目標』を見失ったのである.

 1991年にはバブルが崩壊し,永遠に続くかと思われた『右肩上がりの成長』社会は突然に終焉〔しゅうえん〕した.爛熟〔らんじゅく〕した生活文化の陰で進行していたのが学級崩壊や校内暴力やいじめあるいは虐待であった.このとき『引きこもり予備軍』たちはまだ優等生であり,教育という枠組みを信じていた.と言うよりも,信じていたのはその親達であり,当人達はただ信じさせられていたと言うべきかも知れない.即ち,「学校の先生の言うことを信じて,社会の枠組みの中で努力をすれば『俺達は幸せになれる』」と信じていたのである.少なくとも勉強しない子や非行に走る子を尻目に見て,競走に打ち勝てば『あの子達よりも,俺達は幸せになれる』と信じていた.

 そのまやかしが暴露されてしまったのが,バブル崩壊後の『失われた10年』と言うものではないのか.もはや社会の成長はなく,産業の未来も見えない.華やかな成長経済のスターだった大企業も,不祥事か合併か不良債権かはたまた海外移転か,若者達が夢や希望を託して働く先ではなくなっている.若者達の労働力を求めていないどころか,リストラで親達の失業を促進している.高校は大学への,大学は就職へのステップであり,教師達は責任を持って上のステップに押し上げててくれるものだと信じていたが,もはや彼らにそんな力があるはずがない.

 むしろ劣等生や非行に走った現実主義者たちは,大人たちや社会のそんなまやかしに,とっくに気づいていて,もはや青い鳥のいない社会に適応し始めている.教育が『約束』していたはずの未来や希望はどこに行ったのか?引きこもりたちは,いまや『希望』を自分で見つけ出すしかないのである.
(4月2日)