NPO法人ニュースタート事務局関西

VOICE

肥沃な喪失 高橋淳敏

痴呆の高齢者が寝起きをしている老人保険施設の入り口前のスロープを苦もなくのぼりきると,扉はガラスばりになっていて,中が見わたせる.ロビーらしきところには,人影がない.そのような確認をするための一歩が,目の前の大きなガラス戸を,自動的に開かせた.とまどいからくる反動が,訪れたものであるにもかかわらず,来るもの拒まずとおおげさに身構えさせた.中に入ると天井の高さや,使わないであろうスペースの広さに,とりつくしまもなく,その受け身の態度はもろくもくじけ,トーンチャイムが数十本はいったジュラルミンケースが,両肩に重くのしかかるのを感じる.そこではじめて,ここを訪れた頼りない目的意識を奮いたたせなくてはならなくなった.

 トーンチャイムは音叉のようなものを鉄琴のバチが叩くような楽器である.片手で握るとちょうどよいぐらいの太さをもった鉄の筒本体に,鉄琴のバチの柄を短く切ったようなものの根元が,可動するように,ぶらぶらと筒の中間部分に外付けされている.本体下部をにぎり,鉄筒を立てて全体をふると,バチの先端が鉄筒の上部にあたり,鉄筒の中で音が共鳴をする仕かけになっている.その長さや太さによって出る音階が変わる.機能上の代用品としては,ハンドベルなんかを想像できるが,その音色は,ハンドベルが数回ふってアピールしなければならないのと違い,一回ふるだけでその音の重みは,空気の振動を通して触覚に感じるもので,陶酔するような耳なりになる.そして,この皮膚を撫でるような音圧は,人肌の温もりや,そのままならぬ喪失感のようなものまで喚起させるのか,見た目とは対照的になじみのあるものとなる.

 ドアの向こう側にいる人に,こちらの機嫌のよさを示すように,軽快にノックをする気分で,叩くことより手首を引くことを強調して....トーンチャイムをうまくならすためには,タイミングよく引く,ちょっとしたコツが必要であり,さしずめ僕はその技術支援といったことをしている.といって,勘のいい人でなくとも,すぐにこのからくりを見ぬいてしまうので,手が思うように動かない人の横にいっては,あまり力を入れなくても音が出せるように,重力によって落ちるところにまかせ,楽器を支えることを教えてまわった.そうすれば,とまった鉄筒の上に,ゆっくりとバチが落ちてきて,わずかながらも音が響く.

  「こうかい?」
   「こうかい?」

 その場に似つかわしい音が出ているのかどうか,確認をこうように,一人の男性が声をあげていた.いや,彼は耳が不自由で音が聞こえないはずである.彼は魔法のかからない魔法のつえをふるように,鉄筒を動かしている.空気のぶれを感じているのだろうか.ぶれは,この空間全体が織りなすものであり,しぜん僕もそのぶれのうちに含まれている気になり,彼にひきつけられる.そして,魔法のつえは効力をもって働きかけ,「こうかい」が発音を変えず,くり返し鳴り響く.

 後悔をしているのだろうかという問いがあった.後悔先に立たずという時間軸を設定してしまった時点で,すでに後悔という概念から離れているのではないかと,前々から思い至るところがあった.そうだ,僕の体の外では,まったくまずい結果になってしまった.しかし,それが僕の内に入ってしまったら,反省とかうまくいけば内省というたぐいになってしまう.いや,厳密にいえば,その出来事が体の外にあることがなく,その出来事が起こったと同時に,その出来事は僕の中で厳密な位置づけを探しはじめる.なぜ彼女があのような状況になってしまったのか,自分がいかに関与していたのかと,不完全にも考えはじめてしまっている.どうすればよかったというのだろうか,解らない.自分の外に教典はなく,懺悔する対象はない.僕には,ただただ限定された行為を悔いるという時間は,存在しない.何も捨てちゃいないんだ.

 はたしてそうだったんだろうか,後悔という文字をたよりに,記憶をたどっていくと,なぜか朝顔の観察日記のことがうかんできた.小学校一年生の時,朝顔の観察日記を宿題として提出し,先生の導きによる皆の賞賛を受けた.それがどんな言葉であったか忘れたが,わるい気はしなかった.しかし,よくもなかった,僕は朝顔の花を観ることなく,枯らしてしまったはずだった.小さな鉢植えの肥沃とはいえない土の中から双葉が出てきて,その横に細い竹ざおに似せた緑のプラスチック棒を立てた.すぐ夏休みに入り,プラスチック棒が行く手をふさぐのを,うまくコントロールしながら,たいそうに鉢を家に持ち帰った.記号的な青をした鉢が,ベランダに設置され,その背景には,前に住んでいた団地の三階から見わたせるゆるぎない景観がある.そこまでは覚えている.それからプラスチック棒に,つるが巻きつくはずだが,その記憶はなく,教科書に載っている観察モデルに味つけをして,休みの終盤に観察日記をつくりだした.この話のどこが後悔という言葉につながるというのだろうか.それからの僕が賛辞をもらうために,虚飾の人生を歩んでいるとしても,それはとるに足りないことだ.そのことによってずいぶんとつまらない思いもしただろうし,逆にアレンジすることの楽しさもえたであろう.そして,これら葛藤から,哲学的命題をも考えることもできたはずだ.しかし....

 いろんな音階が,あちこちでなり,渦の中を,内なる耳なりを抱え,身体的な,その場に,さらされていくのを感じる

 枯れてしまったであろう朝顔を思い出すことができない.そのとき,無自覚であれ捨象した,朝顔の記憶がない.いままで,思い出すことのなかった朝顔の観察日記の中を生きてきたように,今僕はこれら喪失した思い出によって生かされているのではないだろうか.思い出せない後悔の中を.......

  「こうかい?」

 いつのまにか,僕は男性の横につっ立っていた.航海に出ていってしまった記憶という船は,彼の港に戻ってこないだろうし,彼もそのことはよく知っていて,待つこともないだろう.男性の笑顔は,長年の重力との対立による弁証法の体現であって,冒険者のそれであった.僕はそれには応ぜず,無言で男性の手をとり,彼の腕ごと軽快に,動かしてみる.血管としみで濃く彩られた手の甲は,ひんやりとした冷たい体温を伝えてきた.腕は思うがままに動き,彼の意志は感じられない.バチの先端は,鉄筒をかすめ,いくらか試してはみたが,その音が鳴り響くことはなかった.
たかはしあつとし